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池田果実店

 東京都文京区向丘2-29

営業時間:9:30〜22:00   年中無休

お店の全景、年中無休で頑張る。

池田秀男氏と朝子夫人。仕事も生活も幸せそう。


  景気は底をうったという予測もあるが、99年早々とびこんでくるニュースからはまだ明るさが見えてこない。百貨店の98年通年の売上高は5.0%減と不振で、落込み幅は93年の6.6%に次ぐ2番目の大きさ。スーパーにしても98年通年では2.7%減だった。99年1月13日の日本経済新聞の夕刊コラム『鐘』では「老舗が老舗として現在にまでも生き続けることができたのは、代々、伝承と変革、そして挑戦をたゆまなく続けてきた結果なのである」(神田良、岩崎尚人著「老舗の教え」)と引用し、白木屋時代から300数十年の歴史を誇る東急百貨店日本橋店の1月末閉鎖についてふれている。
 
 同じ日の夕刊コラムに98年に木下恵介監督について書かれたものがあった。同じ年に亡くなった黒沢明監督が「世界の黒沢」といわれる活躍を見せたのに対し、木下作品は「喜びも悲しみも幾年月」「二十四の瞳」などで、つつましく誠実に生きる人たちを描いて、深い感動を呼んだ。
 
 この記事を読み、ふと頭によぎった店があった。夜遅い時間にバスで通り過ぎたときに、街の灯ともいえるように果物が明るく輝いていた店。果物店の多くは家族経営で夜遅くまで営業しているが、百貨店やスーパーが大変だ、大変だと言っているときこそ、どっこい元気だぞと明るくアピールできる店、きっと日本全国にはそういう店がまだまだ多いに違いない。今回はその代表として池田果実店に登場いただいた。

  寺の法事注文が多い

 池田果実店は文京区向丘2丁目の交差点近くにある。文京区は23区のほぼ中心に位置し、神社仏閣、六義園や小石川植物園などの庭園、東京大学などをはじめとする教育機関が多く、「文化と教育のまち」として発展してきた。
 
 元気な店といっても、交差点を境にして商店街からは外れているし、店の前は歩道用の白いラインがあるだけで、バス通りのため車の量が多い、と立地面は良好とはいえない。文京区には地下鉄の路線しかないが、最寄りの地下鉄三田線白山駅からは徒歩5分ほど。すぐ近くに南北線が開通し、開通記念セールを商店街でも大々的にしたが、「この路線客はあまりあてにできないことがわかった」という状況だった。おまけに北西向きだから、北風は入るし、西日の影響も受ける。
 
 「だから、うちだって景気は悪いんですよ」と池田秀男さん。でも、朝子夫人と一緒にいると目が笑っていて、大変そうにはまるで見えない。雨降りの寒い日だったのに池田さんは、動きやすいジャンパー姿で、夫人はエプロン姿で接客している。
 
 文京区には寺が115あるが、そのうち20が同店のある向丘地区にあり、区内で最も多い。なんと、細長い自宅兼店舗の裏手がすぐ寺になっていた。「この寺の多さで、うちの店はもっているんですよ」と笑いながら打ち明けてくれた。通りに囲まれた一区画だけで寺が9つもある。まさに「お寺の街」である。
 
 毎週どこかの寺から、法事の注文が入る。四十九日、一周忌、三周忌など寺からの注文なので、盛りかごとして運ぶ必要はなく、金額分を箱に詰めてもっていき、飾ってくるそうだ。葬儀会社などが入ると手数料をとられるが、こちらは寺からの直接注文になるので地元に長いという実績が生きてくる。冠婚葬祭の果物を扱う、加工品を作る等々、言葉はよくないが、「裏」の商いをどれだけするかがこれから「元気な果物店」の分かれ目になってくるだろう。
 
 通りを隔てて前に花店があるので、法事関係で毎年この町を訪れる客も多く来店してくれる。

  働きやすく工夫

 池田さんの店は戦前は現在地に近い大きな通り沿いにあったが、戦後現在地に移転した。89年に改装した売場は16.5uとコンパクトながら、客が店内に入りやすく、また店の人も働きやすく工夫されている。

コンパクトながら高級感のある売場。

自宅内台所窓(写真右奥)から売場が見える。

 奥が自宅だが、店舗と自宅の境に素通しの窓ガラスをあしらい、その奥をカウンターキッチンにした。こうしておくと自宅内にいるときでも客が来店したのをキャッチできるので、すぐに脇の入り口から店舗に出ることができる。

 店舗の後ろに自宅がある店では、店舗から居間(よくコタツに入っていたりする)が見通せたりするが、ここでは一見すると奥にガラス窓があるだけでよくわからない。自宅側からだけ見えるようなスモークガラスはあえて採用しなかったが、このガラス窓が家族の絆をがっちりと固めているともいえる。

 というのも、家族だけで経営していると、三度の食事が家族でバラバラという店も珍しくない。店主は朝早く仕入れに出かけるから一緒に食事はしないし、昼と夜も接客があるので交代で食べるという店がほとんどである。

 しかし、池田果実店では食事は温かいうちに夫婦一緒に食べる。客が来たら「いらっしゃいませ」と飛び出すが、客のほうでは食事姿を目にするわけではないので、気兼ねせずに買うことができる。「いかに家の中にいて仕事をするかということで特注したんだけど、これはよかったね」と自画自賛。寒いときとか、夜遅く「もうお客さんもあまりこないかなあ」というようなときには奥に引っ込んでいられる。「時々テレビを見ていて、お客さんに窓をノックされたりするけど」というのもご愛敬だろう。

 家族だけで効率よく長時間営業するというところにはうってつけかもしれない。

メロンも常時これぐらいは並ぶ。

商品陳列にもこまめに手を入れる。

 大半が固定客だから、客の好みはわかる。山の手という言葉は文京区をさしたと言われるほどで、都内一治安もよく、昔からの住民も多い。ここで、家庭用果物としてもおいしく、贈答にも利用してもらえるという中級上〜高級ランクの品物を長年扱ってきた。「だから包装紙がいいのはちょっと自慢かな」

 池田さんは初めから果物店を継ぐ気で荻窪の店で修業し、戻ってきた。20年以上ともに営業してきた両親は今はなく、「気楽に、楽しく」をモットーに笑顔を振りまいている。

 神田市場が大田市場に移転したときに、近くの豊島市場にも通ったが、やはり「古巣の仲間がいる」大田市場に仕入れに行くようになった。ただし、大田市場が遠いこともあって、今は週に3回ほど、電車やバイクで仕入れに出向く。すると午後には問屋から荷が届くという生活をここ10年ほど続けている。

 青年会議や組合のイベントなどにもこまめに顔を出して学ぶ姿勢は十分なだけに、一見するとごくふつうの街の果物店だが、何かが違う。店内の清掃はきちんとされているし、プライスカードもきちょうめんに並んでいる。旬の果物については多種類品揃えしている。手頃な贈答品については多数並べている。

 「12月は百目柿も自分で渋抜きしたんですよ。500〜600円で結構売れたんで、これから年々増やそうと思っています。それから、カリンの蜂蜜漬(500円、700円)も自家製。仲間に教わってすぐに作り始めました。何もしないと言いつつ、手がかかることもしていますね(笑)」
 
 後継者世代としては22歳と20歳のご子息が2人。長男はホテルで調理人としての修業をしている。これから先どうなるかはわからないし、店を継いでほしいとも考えていないが、飲食関連の店を出したいといったときには用意してあげたいと親心をのぞかせた。
 
 周辺はマンション建築が進み、若い新住民が増えてくることが十分予測されるからで、そのときに飲食を伴った店というのは今後大いに可能性が高いとみられるからだ。
 
 とはいえ、そのときまで頑張るのは店主夫妻である。四十六時中一緒にいるが、よく話し、よく笑う。一人でも店番が可能だから、店主が組合や町内会の用事で出れば、かたや奥さんは区の主催するダンス教室にも通うといったぐあいで、双方が仕事も生活もともに楽しんでいる姿がうかがえる。
 
 パパママストアは減り続けてきているといわれてきたが、全国に散らばる池田果実店のような店は元気に生き残っていくのではないか。今、テレビ番組でも元気な商店紹介が花盛りになってきたが、こういう時期だからこそ、心の通う店が求められているという気がしてならない。