| おせち |
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お節料理とは、宮中の宴会(節会せちえ)の料理のことで、本来は朝廷の節供(せっく)の宴会に用いられたものであるが、のちに正月の料理だけをお節と呼ぶようになった。江戸時代になって、幕府が決めた「五節供」は次の通り。一月七日=七草の節供,三月三日=桃の節供,五月五日端午
(たんご)=菖蒲(しょうぶ)の節供,七月七日 七夕=星の節供,九月九日重陽 (ちょうよう)=菊の節供。
昔からお節料理には縁起物が顔を揃え、鯛はおめでたい,
かずのこは子孫繁栄,エビは腰の曲がるまでの長生きを,黒豆は健康でマメに働けるように,タコの足は八本で末広がり,田作りは五穀豊穣,きんとんは金の布団,錦卵や伊達巻きの山吹色は黄金,やつがしらは人の頭に立つように,れんこんは穴がたくさんあいていることから見通しがよい,ゴマメは別名田作りと呼ぶことから豊作への願い,ブリやハマチの照り焼きも出世魚から,コンブは喜ぶ・長々と続く,クワイは芽でたい…といった具合。まさに、新しい年にかける豊作や幸運を祈る心のあらわれといえる。 |
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お屠蘇(とそ) |
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中国から伝わり、天武天皇の676年(白鳳4年)ころ、または811年ころに、1年の邪気を払い長寿がかなうとして宮中の行事とされた。しかし、庶民まで広まったのは江戸時代に入ってからである。肉桂(にっけい),山椒(さんしょう),防風(ぼうふう),白じゅつ,桔梗(ききょう)などを調合した漢方薬を紅絹の小袋に入れ、酒またはみりんに浸して作る正月の薬用酒で、いただくときは年の若い人から順に年長者に杯を回すのが習慣。 |
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| 雑煮(ぞうに) |
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いろいろなものを入れて煮た料理という意味で、年の瀬に神に供えた餅や海山の幸を、正月に分ち食べたのが始まり。入れるもちは関西では丸餅を湯通しして昔ながらの味噌汁仕立てであり、武家が中心の関東では切り餅を焼いて「ミソをつける」のは縁起でもないとすまし汁仕立てとする。 |
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| 七草 |
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起源は中国で晋の時代、民間の風俗を書いた「荊楚(けいそ)歳時記」に「正月七日を人日とする。七草であつものを作る」とある。わが国ヘは平安時代の初期に伝わり宮中での行事となり、江戸時代になって一般に広まったが、本家の中国ではずっと以前にすたれてしまった。
「せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな(かぶ),すずしろ(大根)」で、正月七日に七草粥(ななくさがゆ)にして食べると、万病を治し悪魔を除くといわれている。これは野菜が少なかった古代において、貴重な青物であり、祖先が経験から必要としたものであろう。 |
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| 松の内とどんど焼き |
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松の内とは、元旦から松飾りをはずすまでの間をいい、この間は正月気分でのんびりとすごし、人と会えば「おめでとうございます」と挨拶をする。地方によって期間が異なるが、7日までが多い。松の内がすむと神社や寺院の門松やしめ縄を持ち寄って焼き、歳神(としがみ)様を送り出すのが1月15日の「どんど焼き」とか,「左義長」(さぎちょう)と云われる行事である。 |
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| 鏡開き |
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11日は鏡開き、正月飾りの鏡餅を縁起をかついで「切る」とはいわず、「開く」といって手か槌(つち)で割るのが習慣。 |
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