店、商品、人との出会い
数字で自店の経営を時系列的につかむ
地酒の取扱いで全国に名を馳せ、年商2億6000万円。小規模経営ではほぼ限界に近い数字である。
省力化のためとはいえ、午後4時以降にならないと配達をしない、来店してもらっても双方の意向が合わなければ断る。これらの言葉から少々気むずかしい店主を連想されるかもしれないが、そんなことはない。笑顔で早口、打てば響くように明快に言葉が返ってくる。酒を愛し、美酒にこだわり、酒に対する哲学をもっていることがひしと伝わってくる。

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店主の名は平嶋雄三郎さん。
結婚し養子となって3代目になった。品質がよくて当たり前という某飲料メーカーの店舗担当営業として4年勤務した後、酒販店の仕事に入った。
この勤務経験からメーカーとはいいものを作るという前提で考えていたから、酒がうまくないと思っていても、まあこんなものだろうとしか考えなかった。ところが80年、北九州市にそごうデパート黒崎店が開店し、地酒を置いてあるのを見て、購入して飲んでみると、これが実にうまい。 |
| 1本ずつの陳列。「古酒」、「熟成酒」もある。酒の図書情報、地域情報なども配布 |
ショックを受け、研究を始めてみると、いま取り扱っている商品の多くは大量の醸造用アルコールと果糖類を混ぜて作った「三増酒」で、いわば本物ではないということがわかった。そこで、店頭にある大半の酒を引っ込めて、酒の美味に徹底的なこだわりを持つ人生が始まったのである。
当初は、そごうデパートに納入している卸を通じて仕入れたが、やがて全国の蔵元を回り始めた。日本名門酒会には81年の設立時から入って商品を得るようにした。
数字の出ない商いは商人としていやと、77年から記録をつけている。それによれば、地酒を扱い始めた81年は全体で70kl取り扱い、売上げは5500万円、うち日本酒が20.0%、ビールが62.9%の割合だった。ひらしま酒店が地酒に力を入れ始めたのと時を同じくして、全国的に地酒ブームとなってきて、5年目の86年には1億900万円、90年には2億1500万円と大台をクリアしている。日本酒対ビールの割合は、86年で43.0%対33.6%、90年で57.3%対29.1%、これが96年には売上げが2億6000万円で、ビールの割合は5%というところまで落としている。ディスカウント店に対して勝ち目のないものは早々に見切り、ビールは地域と料飲店需要に応じられる分と特定銘柄に絞った。
地酒を始めた頃は、蔵元から直送すれば運賃が原価よりも高くつくという時期があった。1年間売れなかったものは、自家用の清酒風呂に用いて処分した。1回1万円の高い風呂についたこともあった。
年明けから5月頃にかけては、蔵元回りをする。いまでこそ新酒の出来を確かめるために出向くが、回り始めた頃は取引を頼む旅でもあった。
蔵元は酒樽の量は限られているので、販売店が決まっていることが多い。だから、何しにきたのかと怪訝な顔をされたり、へたな期待を抱かせるよりもと初めから断られることも度々だった。そこで粘るか、あきらめるか。誰もが名前を知っている「幻の銘酒」でも蔵元に7〜8年通ってようやく取引が始まったものもある。
これまでの15年間に300ヵ所ぐらい全国の蔵元を回っている。以前は取引を頼む側だったが、いつしか頼まれる側に立場が逆転してしまった。いまは「ひらしま酒店」というブランドを背負っているので、へたな期待を抱かせては、と逆に気を使うという。
蔵元へ通った交通費はざっと見積もって4000万円。現在も電話代は毎月10万円を超える。地方だからこそ手間暇かけた情報入手に金は惜しまない。だからこそ今日があるのだと平嶋さんは考える。
高い山に登ってこそ下界がよく見える
これから先は平嶋さんの哲学をうかがおう。
――蔵元を回って取引を頼むとはどんなことをするのですか。また、どんなことが蔵元選びのポイントになりますか。
「まず、自分を知ってもらうことが大切です。販売のプロだという感触を与えなければいけない。いま売れていてもそれが継続できるかということが肝心なんです。後継者がいない、杜氏がいない、という蔵元だと将来の酒づくりはどうするのか、などが決め手になります。
酒づくりは米麹を発酵させるということで、微生物との闘いですから、蔵元の古い新しいにかかわらず、清潔でないといけない。だから、掃除されているかどうかはチェックします。きれい、汚いは人がする仕事ですから、だめなところはそのあたりから緩みがくるんです。
それと、酒を飲ませてもらって判断します。杜氏が自慢するほどの酒なのかどうかは、こちらの舌で判断する。でも、ズラリと目の前に酒を並べられて、蔵元がいいと思っている酒を当てきれないとたいしたことはないと思われる世界なんです。これは真剣勝負できびしいですよ」
――どうやって舌を鍛えるのですか。
「こればかりは山登りと同じ。高い山に登ってこそほかの山の低さがわかるんです。だから、いいといわれる酒はできるだけ多く飲み比べする。鑑評会では200でも300でも飲みますよ。飲んで飲んで、飲みちらかさないと酒はわからないという部分があるんです。残念ながら(笑)。
富士山に登ると他の山の低さがわかる。お客様は勝手にいろいろな山に登っていますが、最終的に私が登っている山にどう登って来ていただくか、というプロセスが日本酒を売る楽しみでもあり、日本酒の楽しさを教え、文化を伝えることだと思うのです。商いの一日一日の積み重ねは、とりあえず自分が一番高い登っていて、下におりていっては、お客様の手をひいて登らせる努力をすることが、店の特化、差別化にもなるし、また、自分の人生の道ではないかと思っています」
――変わった酒、珍しい酒も置くのですか。
「いえ、そう表現するのは蔵元には失礼であり、売る側が、変わっているから、珍しいからというので売るのは商道に反しているのではないでしょうか。あくまでもおいしさにこだわっています。
おいしさは、規模の大小とかかわりなく結果オーライの世界です。全国の販売で7割を占める三増酒もうちでは売りません。専門店は売りたくないものを売らない努力をしてもいいのではないかと思うのですけど」
――料飲店などに料理に合う酒のアドバイスをしないのはなぜですか。
「料理は料理人によって味が違うわけで、我々にはプロの味を作れない。なのに、この料理にはこれが合うなんて言えない。だから、選択してもらうために、来店願うのです。うちがすすめれば、どこの店も金太郎飴になってしまうじゃないですか。店はわがままじゃないといけないと思います。一般のお客様が刺身とか天ぷら料理をするといったときには、選んでさしあげますがね」
――酒の評価基準として、POPで甘口や辛口、日本酒度の表示をしないのは。
「店が決めるとお客の興味が半減してしまいます。日本酒の本当にいい酒が300ぐらいとすれば、すぐ飲みつきますよ。ですから、興味の幅を広げるためには、おいしければいいという発想をどうやってさせられるかが大事なんです。お客にとって飲むことは仕事でなくて遊びだもの。酒を楽しんでもらう、遊びの提案をどれだけするかだと思っています。
地酒に力を入れている店ならば、100銘柄は扱ってほしい。90銘柄は問屋仕入れでも、10銘柄自分で命をかけた蔵本直送をがあればいいんです。でないと、客は地酒専門店とみなしません。
日本には蔵元が1700社余りあり、うち6割は上位50社で売られていて、4割のシェアを1600の蔵元が分け合っている小さな、小さな世界なんです。ですから、売る側も1つ1つの日常の積み重ねを通じてお客様に知っていただくしかないんですよね。この商いの基本が地酒販売に関する限り忘れられているような気がしますね」
客に満足感を与える店、オリジナル商品
――81年に店舗を22uから50uに広げて新築し、さらに93年に改装しています。どんな店づくりをめざしたのですか。
「店舗新築のきっかけは、100坪で15坪の地酒のコーナーを作るのは簡単だけど、15坪の大半が地酒のコーナーという店は当時なかったから、そのモデルになりたいと思ったことです。
93年の改装のときは坪当たり150万円もかけたので、酒専門のコンサルタントからは坪60万円に落として5年に1度改装するほうがいいとアドバイスされました。でも、ディスカウンターやデパートでも専門店化風にきれいにしている時代に、並の改装をしたぐらいでは客に喜ばれないですよと初志貫徹しました。それでも、ぜいたくいえばいまの店では狭くなってきた。25坪くらいあって、もう少し遊びの空間がほしいなぁと思っています。
店はきれいにがモットー。毎日外から二度は入ってみて、客の目で見てチェックしています。
99年にこの先が温泉としてオープンする予定でそうなれば湯治客をあてにした商売もできるかもしれないと、とりあえず温泉地名の商標登録はとりました(笑)」
――オリジナル商品はどれぐらい。それと、オリジナル商品づくりのコツはありますか。
「オリジナル銘柄は約40アイテム、1升瓶で2300〜1万5000円までで、300mlより各サイズ揃えています。これらは蔵元に対して、いい意味での価格破壊、品質破壊、酒づくりに対する思想破壊をねらっています。
うちは20〜30代の若い客層をねらってきたわけですが、いまは3〜4合をどんどん飲むという時代ではなくて、1合弱でもうまい酒であればいいと変わってきつつある。となると、従来の固定観念を変え、70mlで200円の酒を味わえるといったぐあいに価格を破壊していく必要がある。そうでないとオリジナルの意味がないんですよ。
オリジナルの酒は1億円を目標にしていますが、商売を離れた部分で、蔵元への提案ができればいいなと考えています。
オリジナルのコツですか。なるべく自分の好みを出さないように、その蔵の特性を生かしながら、ネーミングに合う酒を選ぶってことですかね。
ブランド人気を高めるには短いタイトルであることが大切。覚えにくいネーミングや、清新でないネーミングは敬遠されます。全部自分でネーミングし、ラベルにはコーディネータとして自分の名前を書いてあります。
尊敬している児玉さんの名をいただいた『光久』、ファンだった赤木圭一郎にちなんだ『電光石火』、北九州五市にちなんだ五酒セット『跳ね橋のある街』『かっぱのため息』『小倉美人』『1901八幡レトロ』『福の飛梅』『吟華秋桜』『筑後の詩』などがあります」
――では、究極のうまい酒とは。
「ズバリ価格よりも越えた酒でしょう。それと、酒は原材料を見ないとだめです。米と米麹と書いてあれば純米酒だけど、米、米麹、醸造アルコール、醸造用糖類、醸造用調味料と書いてあるのは三増酒だから買わないほうがいいってすすめます。蔵元からきた酒を品質管理するだけでなく、地下で古酒として熟成させる『ひらしまブランド』も作り始めました。
いままでは売る専門だったんですが、昨年(96年)福岡県糸島郡前原にいる米生産者を訪ねたところ、米作りに命をかけているというだけあって、この人の田圃では山田錦の倒伏のしかたが違うんです。1.2mくらいの高さがあるので倒れるのは当然なんだけど、ほかのはベラ〜ッとした感じなのに、その方のイネは品よく、しなやかに倒れている。聞くと、葉の巻き方から、茎の長さの調節まで栽培技術の裏付けがあるんですね。米作りのすごさを実感しました。それで、これからは米作りにも挑戦してみようと張り切っています(笑)」
商いは心、自分を磨け
「100人に受けようとは思わないが、販売面で北九州に支配力をもつ店づくり、酒づくり、人づくりをしていきたい」
平嶋さんにとって、地酒は人生そのもの。地酒を扱うことによって自分が生かされているという。77年に2代目が別事業に手を出して借金を残して出奔、よほどやめようかと思っていた時期に、地酒のうまさと出会った。そして、児玉さんや秋山画伯との出会いも地酒を通じてだった。彼ら2人から目に見えないものの大切さ、心をどう表現するかを学ぶことができたが、さらに商いは何かを考えたときに、『自分はたかが地酒屋』の気持を忘れずにいることであり、『商いは心』」と言い切る。
蔵元回りや来客のもてなし等、対外的に多忙な店主に代わって、接客したり、ギフト用の包装をしてまごころサービスに努めているのが、瞳夫人と後継者の洋一郎さんである。
ワインの勉強も始めた洋一郎さんは「いまは日本酒の道を習っている段階ですが、自分なりに新たな道を見つけていきたい」と語る。
そして父は後継者の存在により、新たなやる気を奮い立たせている。
「息子が成人するまでは自分のスタンスでしかものを考えられませんでした。高い天井を望まずに、自分の背丈に合わせた商いをと気楽に考えてきました。
でも、跡を継いでくれるということになって、5年後、10年先だけでなく、50年先のことまで希望をもって考えられるようになりました。いまこの商いで食べていけるという現実が問題ではなくて、将来どうすれば商いを続けていけるかというように考え方が変わってきました」
いままでは東京の情報がフィードバックされて地方で売れてきた。しかし、蔵元の酒などに品質較差が狭まってきたことにより、地方の情報が東京に流れていくという逆転現象も起こりつつあるという。
これからは日本酒の販売も地方の時代になる。その担い手になるという使命感をもっている。
どんなにディスカウンターが進出しても、景気が低迷しても、周囲の影響を受けずに業績を伸ばすことができる店はある。
勝利への近道は、大型店やディスカウンターにできない手間暇かけたことをすること。
その道のプロとしての店を作り、店を理解してくれるファンを作ることである。
後は基本を大切に、一日一日積み重ねていく。
まさに、「繁盛店は一日にしてならず」
立地が悪くても、家族営業であっても、やり方しだいではまだまだ可能性は残されていることを、ひらしま酒店の取組みが実証している。
繁盛店のノウハウ
☆地酒と焼酎を核に店づくり
☆オリジナル酒の開発
☆店は戦場、そして酒は生物
☆マニアには店だけでなく次のお楽しみを用意
☆会を組織して人との出会いの場を作る
【コメント】
小倉市内に泊まったホテル近くの居酒屋さんも地酒がたくさん置いてありました。地酒をここまで広めたのは本当にスゴイ。
また、こういう立地で、よくぞここまで、と感心しました。私のホームページと相互リンクをしている大塚酒造さんも、取材でうかがった杉本酒店さんも「平嶋酒店さんは酒の業界では有名です」と一目置いていました。
平嶋さんの話はテンポがすごく早いです。酒に対する思いがあふれんばかりです。店をやめようと思ったことがある、という打ち明け話もしてくださいました。苦難を乗り越えられたからこそ、農林水産大臣賞という栄冠をつかむことができたのでしょう。
それと、繁盛店の条件として、取扱商品のデータをきちんと把握しておくことも大事だと思いました。
店は、平嶋さん自身もうちょっと広ければいいなぁと言っていましたが、店内には潮騒の音が聞こえてなかなかいいムードです。「若いカップルが棚の陰でキスしてるのを見て、そういう気分にさせる店ならば、ま、それもいいかと思ったんですよ」と愉快そうに教えてくれました。
潮騒の音を流す以前には「ジャズのかかるモダンな酒店」という紹介記事がありましたから、今度行くときはまた変わっているかもしれません。いろいろな人たちが平嶋酒店詣でをするという気持がわかるような気がします。やはり決め手は「情熱」ですね。
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