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(中屋商店)

特産品の販売に飲食部門を加えた製造小売店

 第6回農林水産省食品流通局長賞。島原駅より徒歩6分、島原城近くで海産物と飲食の店を経営する。木曜定休、営業時間8〜19時。95年4月に改装した店舗は売場面積66u。海産物販売、特産品の開発に力を入れ、長崎県特産品新作展で優秀賞を受賞している。海産物55%、みそ.しょうゆ25%、農産物10%、漬物・菓子10%の割合。うち産直の仕入れは70%、小売の割合は65%。経営者の中島良平さん、一美さん夫妻、弟の従道さん、佐智子さん夫妻、母文枝さんを含め、従業員9人。

中島良平社長、母 文枝さん

長崎県島原市城内1-1186

雲仙普賢岳の大噴火をきっかけに店舗改装

 島原市は、雲仙天草国立公園の地域にあり、有明海に囲まれた風光明媚な土地である。松倉七万石の城下町として栄えた歴史の町で、長崎県の観光地として発展してきた。

 しかし、この状況を一変させたのが、雲仙普賢岳の大噴火である。90年11月に198年ぶりに噴火した後、火山活動が活発化し、91年には、4月と9月の2回にわたり大規模火砕流が発生して、甚大な被害が出た。中屋(中屋商店)では建物損壊といった直接の被害は受けなかったものの、それでも「灰が辺り一面降ってきて、日頃、車で10分のところへ行くのにも数時間かかるような有様」だった。

 島原市にとって、これ以後、観光収入が激減することになり、各商店は大きなダメージを被ったのだが、ここ数年は、観光客の数も徐々に戻りつつある。

 中屋は、島原鉄道島原駅から徒歩6分、島原城の堀に沿う道筋にある。城の正門とは反対側にあたるという不利はあるが、島原名産の海産物などを扱って、観光客を集めてきた。

 しかし、噴火後は、どうがんばってみても経営は赤字続き。観光客の激減に加えて、景気の低迷。普通ならば、嵐が去り、天気が回復するのをじっと待つ、という経営者が多いはずである。だが、中島良平社長は違った。

@観光客をあてにしている商いではなく、もっと地元の客を呼び込もう。
A観光客にはもっと島原のことを知ってもらえる楽しいスペースにしよう。
B自店で扱っている商品を特産品として全国にアピールしていこう。

 この3つを柱にして、95年4月に店舗を全面改装し、郷土料理を提供する店を併設した海産物店を開店した。

 「作った商品を自店で売りさばくだけならば、もっと深刻だったと思います。幸いにも、うちの商品は特産品的な意味合いもあったので、普賢岳噴火後もいろいろな物産展に出ていました。被災したことを知っているので、全国の人が同情してくれて、商品購入とともに励ましの言葉を随分かけてもらいました。それがなかったら、かなり落ち込んでいたかもしれません。そうやって物産展に出ているときに、特産品だけでなく、郷土料理にも興味をもってもらえるのでは、と思いついたのです。

 素朴な昔ながらの料理ばかりですが、近頃は地元の人でもなかなか作らなくなってしまったので、懐かしがられています。観光で訪れたお客様に、疲れをいやして一休みしていただき、あわせて土産品を購入していただく相乗効果をねらいました」
 この読みは当たった。旅、特産品、グルメ情報が花ざかりの昨今、昔ながらの海産物を取り扱う店が、島原城をイメージした外装で特徴を出し、昔懐かしいメニューを打ち出したことで、雑誌やテレビに数多く取り上げられるようになったのである。
 オープン当初こそ、月に1〜2回のチラシを3000枚ほど打っていたが、今では商店街の共同広告に参加する程度で、パブリシティの恩恵に浴している。CM料金のことを考えれば、多大な宣伝効果といえるだろう。

郷土料理を掘り起こす

 中屋は、もともと、みそ、しょうゆの醸造元だった。中島社長は、当初より店を継ぐ気ではあったが、製造よりも販売を勉強したいため、外へ出た。

 外での修業は、北関東地域に10数店展開しているディスカウントスーパーだった。68年
当時はまだスーパーが珍しい時代で、仕事も楽しかった。3年目からは値付けもまかされ、ノルマも課されるようになった。

 「ここでは、食料品全般の商品知識、値決めの方法、陳列技術、売れるPOP手法など、販売の基礎を学ぶことができました。現在も大いに役立っています。

 スーパーに7年間いた後、次には料理を学ぶために、空港の食堂部門に移った。このときに、1つの商品を作るまでの加工、調理、味付けに至る工程を体験し、身につけることができた。そこで3年間学び、78年、28歳のとき、父の逝去によって長崎に戻ることになる。

 以来、海産物販売一筋にきたが、大きな転機をもたらしたのが普賢岳噴火であった。その意味では、まさに「災い転じて福となす」であったわけである。

 飲食店の店内は、一見すると、趣味の店のような雰囲気である。

 「いぎりす」は、イギリスグサと呼ばれる島原地方特産の海草を洗っては干していき、ニンジンやコンブなどを混ぜて、吹き寄せのようにゼリー状に固めたもの。島原地方だけの料理で、結婚式や法事などによく用いられる。
 「ところてん」は、テングサを原料にしたもので、島原の天然水を使ったというところにこだわりがある。
 「ろくべえ」は、イモの粉を使った長さの短いうどんで、独特の作り方が代々伝えられている。冬のメニューとして人気がある。

郷土料理の店は、観光客に人気
 「かんざらし」は、白玉団子に砂糖蜜とわき水をシロップのようにかけて食べる。
 「冷やしそうめん」は、島原の手延べそうめん。

 このように、どれも島原地方独特のメニューばかりで、300〜400円と安いのが特徴である。最も高いものでも、おにぎり、ろくべえ、いぎりすがセットになってコーヒーが付いた「六兵衛うどん定食」1000円だから、観光客も気軽に立ち寄ることができる。また、地元の人たちも、近年はあまり作らなくなった郷土料理を味わいたいと、足を運んでくれるようになった。

 飲食店で接客をするのは中島社長の母、文枝さんだ。珍しい料理だけに、説明は欠かせない。観光客にすれば初めてする質問でも、文枝さんにとっては、日に何10回となく繰り返され、答えているもの。だが、客とコミュニケーションできることが、文枝さんの喜びにもなっている。笑顔で応対しながら、作り方を説明する。客は聞いているうちに、自分でも作ってみたいと興味がわいてくる。そうなれば、願ったり叶ったり。帰りには隣の物産販売店で、ごっそりと土産品を買い込んでくれる。

 この逆に、土産を買ってから、飲食部門もあるならば、旅の思い出に食べていこうという場合もある。感想を記したノートには料理を絶賛する言葉が並ぶ。

「料理もおいしい、人もおいしい」
「島原の心を知った」
「あたたかい雰囲気のお店でとてもよかったです」
「食器類にも小物にも凝っていて、細やかな心づくしがしてあると思い、ほっとできます」

 書き込みを見ると、かんざらしのほめ言葉が圧倒的に多い。それらの文字を眺めるだけで、食べてみたいと思う人も多いことだろう。

 黒い盆に美しい皿、その上にガラスの器を置き、白玉がよく映える。盆の隅には、ミニ一輪挿しに野菊の花。テーブルに運ばれたときに、さりげないやさしさが旅人の心を打つのだろう。九州各地から来る人が多いが、メニューだけでなく、店の内装や小物、店の人々の接客態度に至るまで、来店客がトータルなイメージで満足している様子がうかがえる。

手間暇かけてオリジナル商品をつくる

 飲食店の隣は、物販の店になる。紺地に白く店名が染め抜かれた脇に海産物と醤油製造元と書かれたのれんが下がる。島原城のイメージに合わせた建物は、城の堀に面していて、時代劇に出てくる運河沿いの海産問屋のような趣すらある。店頭が格子状のガラス戸になっていて、POPが市松模様風に貼られている。

 そこに書かれている商品名は、「剣先するめ」「どんこ椎茸」「いかの塩辛」「天然もずく」「七味えい」「焼のり」「お多福豆」「きな粉」など。観光客ならば、間違いなく、どんな店なのか立ち寄ってみたくなる。海産物というイメージにとらわれず、バラエティーに富む商品があふれているのである。

 内訳は、海産物が55%を占め、みそ・しょうゆが25%、農産物10%、漬け物、菓子が各5%の割合。これらは、自家製のものもあれば、委託加工のもの、あるいは大量に仕入れたものを自店で小袋に詰め替え、ラベルを貼り直したものもある。海草類は、ワカメ、アオサ、ヒジキ、テングサなどで、いずれも健康食としてのイメージが高い。これが、昨今の販売を後押ししている。

 地元産の取扱いは約半分で、残りは県外仕入れの品々だが、ほとんどすべてにわたり「中屋のオリジナル商品」である。それぞれの商品には作り方や保存方法などを付けている。初めての人でも作りやすいように説明書をつけていることが、リピートにつながっている。そのあたりの演出が、細やかでありながら旅人にアピールするような素朴さを醸し出していて、心にくい。

 乾燥海草類などは、旬の味を維持するために、旬の時期に大量に仕入れて色や香りが飛ばないように冷凍、あるいは冷蔵保存し、必要に応じて加工している。袋詰めは三人家族ぐらいを目安に買いやすい価格帯にし、島原の海が産地であるものについては旬の時期に格別安く提供し、「今の時期にお買い求めください」と促して販売に結びつけている。

オリジナル商品で島原も売り込む

 すべてがオリジナルといっても、ヒジキや海草などでは差別化がしにくい。そこで考案されたのが、特産品としても売り出せる自家製商品である。現在のところ、「めかぶなっと」や「みそこうじ」「ワカメの茎のしば漬」「なめ味噌」などが完成している。

 「ワカメの茎のしば漬」は、塩ワカメに加工するときに出る茎を商品化したもの。こうした茎などは、かつては捨てられていたが、味がよいのでなんとか利用できないかと「もったいない」の精神を発揮して、ウメ酢と調味液を用い、京都のしば漬をイメージして漬物にした。

 また、「めかぶなっと」は、メカブを刻んでトロロ状にしたもので、納豆のイメージからネーミングした。島原らしい商品を作り出したいと考案した自信作で、売込みもスーパーなどの大量販売ルートよりも、土産物店を中心にして拡販している。

 「土産物店としては、中屋の商品はうちにしか置いていないというのを売りにしたいらしいのですが、こちらとしては、もっと広範囲に売りたいし、痛しかゆしといったところ」と苦笑する。

 これらのオリジナル商品は、特注のパッケージにして、ギフトセット「海の四季」としても販売している。当地から地方の人へ送る場合にも、観光土産に持ち帰る場合にも、自信をもってすすめられる一品になっている。
 特産品を販売する店では、地域の催事や県外の物産展などに参加して、売上増につなげている店が多くなってきた。中屋でも、毎年11月に実施される産業まつりに定例的に参加するほか、百貨店やスーパーの物産展に参加している。
健康志向から、地元の人も多く訪れる海産物店

 県の物産振興協会会員になっていると、年に4回ほど、県外の物産展に出展する案内が来る。このときに行きたいところを希望すれば、同業者とダブらないように配慮して、催事を選定してくれる。

 関東、関西方面まで中屋の商品を売り込みにいくのは、弟の従道さんの役目だ。かつて広告会社に勤務した経験を販売促進面に生かしている。物産展に参加するときには、必ず実演販売をしている。そこで試食をしてもらって、知名度の向上に努めているのである。

 「物産展への参加は、交通費など含めてほとんど自腹です。販売専門員であるマネキンやアルバイトも、全部自社負担。でも、ある程度催事が固定化してくると、リピート客がいたり、楽しみに待っていてくれる客もいるので、物産展は重要な位置づけになっています。

 とはいえ、この店に来店されるお客様のように、はじめから『買う』ことを目的にしている人達と違い、物産展では、いわば流れている客に売り込みをかけなければならない。違った意味で、販売の難しさを感じます」

 しかし、都内百貨店のスーパーバイザーから出店要請の声がかかったときは、島原半島から数店だけ選ばれる中に入ったので、うれしかったという。

 また、島原城内の売店で試食品を出したときにも好評だったので、城内の土産品協会に加盟して、引き続き売店で海産物や菓子などの販売も行っている。このほか、ホテルや旅館、料理店などは訪問販売を実施し、業務筋の販売拡大にも努めている。現在のところ、地元客と観光客は半々で、近年は観光客が増加しつつある。健康によいといわれる食品の取扱いが多いだけに、地元客の場合はどうしても購入層の年代が高くなる。このため、地元客に向けては配達も注文を受けて気軽に行っている。

 島原城を囲み、約30店で構成される森岳商店街があるが、これまで商店街活動はあまり活発ではなかった。しかし、思わぬ災害で観光客が減少したのを機に、団結して観光客を呼び込もうということで、祭りやイベントの企画が実施に移されている。イベントに伴い、各店のセールや企画展示、教室などの個人情報を織りこんだ「瓦版」なども発行した。 中屋では、こうした商店街活動でもリーダー的に活躍し、これらの行事に積極的に参加するようにしている。
 観光地を支える食品小売店として、地元商店街からの中屋への期待も大きい。

繁盛店のノウハウ
☆郷土料理に着目する。
☆土地の人情を感じさせる店づくりと心くばり。
☆手間はかかってもオリジナル商品をつくる。
☆全国へ向けて特産品を売り出す。

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