株式会社 元祖おび天本舗

実演販売で特産品に育てた製造小売店


 第6回農林水産大臣賞。91年に食品流通局長賞を受賞したとき、次の目標を農林水産大臣賞において努力を重ね、96年に実現させた。本店のほか、飫肥城店、空港店の支店をもち、97年夏、飲食店が完成。オリジナル商品「おび天」の普及に努めてきたが、95年11月、天皇陛下宮崎ご訪問のおりには名産献上品として選ばれ、名実ともに宮崎県の特産品に育っている。
松田利正社長、一子夫人とお店のみなさん
住所:宮崎県日南市大字楠原4106-8

問題解決により、次のステップへ

チャンスは自らつかめ

 商売には何回か商機が訪れる。それをどう感知して、どうつかむか。
 元祖おび天本舗社長の松田利正さんにとって、最大の商機は宮崎空港ビルに出店できたことだった。

 飛行機で宮崎観光にくる客が増えてきた。自社製品は宮崎だけにしかなく、観光客に売り込むのはうってつけだ。そう考えた松田さんは、空港ビルに販売許可をもらうため直訴に行った。

「勝算はあります。お願いします」と何度も足を運ぶ。「そうはいっても、実演販売は前例がない。においが充満するのも困る」と空港側も渋る。
 だが、そうまでいうなら、とりあえず1ヵ月ほど実演販売をしてみて様子をみようと空港側も譲歩してくれた。それから45日間、松田さんは空港に通い詰めることになる。

 来る日も来る日もチェックインゲートのすぐ近くに陣取って声を枯らして実演販売した。これで結果が出せなければ二死満塁の打席でアウト、崖っぷちに立つ心境だったが、いままでの経験から売れないはずはないとの確信はあった。はたして、空港側の予想を上回る販売成績をあげ、ついに「実演」の許可をとったのである。

 やがて新ビルができると聞いたときにも粘りの交渉力を発揮し、

@当初は3.3uの売場を空港側から提示されたのを20uに、
A伝統的な食品なので、店つくりも和風にして、売場として独立させる、
B新空港にふさわしく、若々しくフレッシュな雰囲気を出すために、若手販売員を、

という空港側の希望に対し、うちは商品のことを熟知しているベテラン販売員を配置したい、とことごとく自社の要望を通してしまった。  
 
 その結果、88年に新空港がスタートして早々、ダントツの高売上げを誇る一番店になったのである。おび天の商品はいまや旅の玄関口宮崎空港の名物になり、集客の要的な存在になって、売店コーナー全体の活気を作り出している。

 空港の売店で、実演販売をするという発想自体、従来は考えられないことだった。だが、揚げたて商品の販売を演出する効果は抜群で、元祖おび天本舗の支店として、出店以来高成長を続け、20uの売場で年間2億円を売り上げるまでになっている。
本店売場:営業8〜17時。おび天が提供する商品は、ゴボウかき揚げなど13種類


ひたすら試食で商品を覚えてもらう

 おび天――この名の由来は、飫肥という地名からきている。飫肥地方に江戸時代から伝わる薩摩揚げに似た揚げ物で、土地の人は四文揚げとか、天ぷらとか呼んでいたものだ。

 色は薩摩揚げよりやや黒いが、味はまるで違う。飫肥藩時代には、カツオ、マグロなど上物魚は藩の専売品だったため、町人たちは雑魚を丸ごとすり身にした揚げ物を工夫したといわれる。これに豆腐やみそを混ぜたのは、栄養価を高めようという生活の知恵だったのだろう。

 冷蔵庫が普及していなかった頃は鮮魚商が売れ残った魚をすり身にして天ぷらにしていたが、飫肥は「陸の孤島」といわれるほど交通が不便なところだったため、飫肥以外にはその味が広まっていなかった。

 松田さんは鮮魚商の五男に生まれ、しばらくは家業の仕出しを手伝っていたが、その頃はすり身をただ油で揚げたものにすぎなかった。地元で呼ばれているような「天ぷら」では全国どこにでもある。飫肥の町の名物なのだから、どこにもまねのできないオリジナル商品にしたいと考案した。新鮮な生鮮の魚のすり身に豆腐、みそをつき混ぜるところまでは変わらないが、これに黒砂糖や、しょうゆで味つけしたものをこんがりと揚げたのである。67年に「おび天」で商標登録を取得。75年に独立し、冠婚葬祭用の仕出しとおび天を始めた。この頃から徐々に交通網が整備されつつあったので、逆に飫肥だけの名産を外へ売り込むことにビジネスチャンスを感じていたのである。

 だが、独立当時はまだおび天の販売だけでは食べられない。店売りで客を待っている商いではらちがあかない。そこで、宮崎市内にある小スーパーの一角を借りて実演販売から始めた。

「おび天ですが、いかがでしょうか」
「何それ、甘いわね」
 
 同じ県内であっても知らない人も多かった。

 とにかく揚げたてを食べさせ、味を知ってもらうこと。試食に次ぐ試食。押してもだめなら、ひいてみなの心境で、売れなくとも決してあきらめない。初めこそ売れない日々もあったが、何回か同じ場所で繰り返していくうちに売れるようになった。

 当初は売れるけれど赤字続き。だが、損して得とれ、とばかりに利益を度外視して試食販売をすすめた結果、人気が高まっていった。健康志向の波にのって、良質なたんぱく源であるということも実演販売時の強力なアピールポイントになったのである。こうなるとしめたもの。スーパーの支店でも販売してくれ、他のスーパーからも「うちでもやってくれ」と依頼が入るようになってきた。当初は頭を下げて頼み込んだというのに、集客効果があるとなると、先方から頼んでくる。その広がりはおもしろいほどだった。「この頃はまた行って喜んでもらおうという気持が先に立っていました。みんなおいしそうに食べてくれましたから。でも、小さな店からの出発でどんどん地域を広げていくのは、本当に血のにじむような思いでした。県内ほとんど出向いていって、ダイエーとかユニード、寿屋といった大手スーパーからも声をかけてもらえるようになったときは、飛び上がるほどの嬉しさでした」

 こうして、県内各地でひっぱりだことなっていったのである。

お客様の言葉に素直に耳を傾ける

「当時は、商売というものは、いかにして儲けるかが一番大事なことという風潮があり、私も当然そういう風に考えていました。

 売れて人気が出てくると、ついもっと売るためにはどうすればいいかと安直な方向に走ってしまうんですね。市場で安い魚が大量に入荷したとき、これでたくさん作って売り出せば儲かると思ったんです。それでバンバン作って売ったところ、何人かのお客様から、この前おいしかったのに味が違うと苦情が出ました。なぜだろう。そこから味の見直しが始まりました」


 おび天は、野菜、イカ、エビ入りなど海の幸、山の幸を組み合わせたものが現在十種類ほどある。これらの素材と魚のすり身の混合具合によって味が微妙に違う。客の指摘は、素材の持ち味に合うすり身があるはずだということを気付かせてくれた。指摘してくれた1人の客の背後には、物言わぬ10人の客、いや100人の客がいるかもしれない。

 自ら実演販売に出向いていたからこそ、客の声をストレートにキャッチできた。少数派の意見もどうしてだろうと分析することができた。現在まで続く味へのこだわりは、このときの経験がスタートラインになっている。

土産ニーズを開拓

 当時、おび天の店は、JR日南線の飫肥駅から車で三分の飫肥城大手門近くにあり、地元客相手の商いをしていたが、観光地化をめざす日南市が飫肥城を復元し新名所にしたことから状況が変わった。県内各地からマイクロバスに乗って観光客が団体で訪れるようになったのである。

 大手門近くで売り込みを図ったところ、「あのときにあそこで買ったおび天ね」「これ、おいしいわよ」と人がたかってくる。知らない人には、知っている人が得意げに自慢しながらすすめてくれるから、1人の客が2人、3人と客を呼んでくれる。ここでようやく「仕出しとおび天」ではなく、「おび天」の販売を主力にするめどがついたのである。

 84年に飫肥城店を新築し、「おび天茶屋」と名付けた。江戸時代にタイムスリップしたかのような武家屋敷風の茶屋は、食事処に売店を併設している。店内に樹齢1000年といわれるクスノキの大火鉢を置いたのが、狙い通り話題となった。落ち着いて食事できる雰囲気が好評で、おび天入りの「城下町定食」が人気を呼んでいる。

 大勢の観光客が購入してくれたからこそ、空港店の出店を決意できた。飫肥城店での自信により、空港側との交渉でも粘りを発揮することができた。当初空港側でも4000円ほどの売上げしか見込んでいなかったが、初年度に6000円と軽くクリアし、空港ビルだけで2億円を売り上げるまでになった。

 地元客主体の販売ではすぐ限界がきてしまうこと、商品性格が伝統的物産であるということから、観光客をターゲットにして、多店舗展開を図ったのが見事に功を奏した。

 空港店設置が大成功を治めたことにより知名度も上がり、年間700万人の観光客が訪れる日南市と宮崎市の温泉旅館やホテルからも土産品としてのひきあいが入るようになったのである。

10年後を見越した設備投資をする


 だが、順風満帆なだけに次の心配も出てきた。

 空港でも飫肥でも観光客が大型化してくる時代には、客が多くなればなるほど、おいしさ、手づくりのよさに加え、食品としての安全性、よりスピーディな製造、配送が要求されてくる。

 県内の道路網は整備されているので、流通面については心配ない。後は、大型消費時代に向けて、いかに大量に、いかに速く作るかが課題となってくる。

 いままでは家内工業的な生産ですんだが、海が荒れて原料が入手できないという事態が起こったときでも、製造を休むわけにはいかない。それではお土産を楽しみにしてくれるお客様を裏切ることになる。
おび天茶屋:店内にあるクスノキ造りの大火鉢が話題。各種郷土料理の人気が高い

 では、次になすべきことは何か。それは衛生的で省力化が可能な工場設備だ。この結論に基づいて、94年に将来の生産量増大にも対応できる工場を建設した。特注の機械が多いので、設備投資は莫大な金額になったが、利益は工場が軌道にのってからでいいと考えている。

 工場建設を境に仕入方法も変えた。アジやトビウオなど旬の原料魚がまとまって入荷したときに、大量に保存しておける大型冷凍貯蔵庫を設置したのである。鮮度とうまさを逃さないように急速冷凍した後マイナス25度で保管している。このため、品質の劣ったものや高値相場のものを仕入れる必要は全くなくなった。高品質な原料を旬の安値時にだけ大量に仕入れ、保管することが可能になったので、在庫保管ロスもなくなった。

 おび天ではいったん揚げてから冷ました後、商品として出荷している。揚げたてをすぐ食べるのならおいしいが、中途半端な状態でパッケージすると、中身がむれて芯の部分がドロッとした感じになる。これが時折苦情として寄せられていた。

 このため、新工場ではフライヤーで揚げた後、ベルトコンベアーで運んで最終段階で急速冷却する機械を特注した。原料魚をさばいてすり身にしたのを成形し、四分間揚げる。その後、ターンテーブルにのせて40分間冷却させて常温にするが、1回につき210枚ずつ生産が可能である。これまでならば冷却部門に3〜4人要していたのが、ターンテーブルにはりつくのは1人で十分になった。

 省力化を果たしたうえで、大量生産も可能になり、冷却して製品化するまでの時間が大幅に短縮されたのである。

 オゾン水を用いた殺菌設備など万全の衛生体制をとったため、O-157が大流行したときにも自社製品を自己検査して安全性を確認したので、自信をもってPRできた。PL法に基づき、どこからみても安心、安全な設備にしたために、どこからもクレームはきていない。また、水や原料水産物などあらゆるものについても自主的に保健所が行うのと同じ検査をしているため、事故防止対策にもなっている。工場設備が安心、安全であれば、いかに販売に打ち込めるか。製品への信頼性が販売の士気にも影響する。このことをいま社員全員が実感している。


多店舗戦略の展開

 大量生産が可能になれば、後は販売に全力を傾注することができる。

 次のステップとして、96年8月に飫肥大手門近くの国道沿いに本店を完成させた。武家屋敷風な造りになっている店舗は、宮崎県屋外広告物コンクールで優秀賞を受賞しただけに、遠くからでも目立つ。ここは、販売の粋を極めた実験店でもある。松田さんは経験に基づいて、販売には大切な6要素があると考える。@商品力(味と質のよさ)、A販売力(接客態度のよさ)、B季節感(季節に合った素材を使い分けて旬をアピール)、Cレイアウト(客の流れをつかんで決める)、Dディスプレイ(安さを感じさせるボリューム陳列)、E演出力(実演による作りたてのおいしさ)、これらすべてのバランスがとれた店を目標にしている。

 観光客がバスで大量に押しかけても客だまりがたっぷりとってあるから、限られた停車時間でもあせらずにゆったりと品選びできる。
 また、実演風景をガラス張りにして、道路からでも見えるコーナーも作ったことにより、「この目でできたてのおいしいものを確かめてを購入した」という満足感をもってもらえる効果も大きい。

 観光客を対象にした造りではあるが、地元客も40%を占め、家庭用だけでなく、帰省客への土産などにも利用してくれるようになった。

 だが、「九州の小京都」といわれる飫肥地域の観光地化は始まったばかり。この将来性に期待して、おび天では97年7月末、「おび天茶屋」の向かい側に大型飲食店の支店を完成させる。観光客だけでなく、地元客も視野に入れた店にするつもりだ。そうなれば、一段と飛躍できるに違いない。

実演販売は対話で売る

伝統の味を守り抜く

 松田さんにとって、「商品を売る」というのは単に商品を金に換えることではない。客がおいしいと言って喜んで食べてくれて、その喜びを自分のものにしてこそ、売り手、買い手双方に満足のゆく販売ができたと考える。口にして満足してもらって初めて「販売」したといえるのである。

 味と鮮度が重要だけに、製造直売を厳守し、卸売はしない方針だ。品質管理の目が行き届かなくなると懸念されるからで、あくまでも自社の責任にこだわっていく。また、各種催事に伴う出張販売は年十数回は続けてきたが、今後も積極的に出かけていく。どんなに遠方であっても百貨店の宮崎県物産展などの催事には社長自らがでかけていって実演販売をすることにしている。
 各地で消費者の生の声を聞くことが味づくり、商品づくりに役立つからである。

 ここまでくれば伝統の味を全国へ伝えていきたいと誰もが考えるだろう。現に土産品として売れ行きは好調であるし、物産紹介の雑誌等で取り上げられ、地方からの宅配注文は年間約6000個で年々増えつつある。

 だが、ここで新たな問題が浮上してきた。地域中心に販売するか、全国展開をめざすか、こと食品に関する限りはどこでも突き当たる壁である。このことに松田さん自身は早くから気付いていた。

「東京や大阪に行って実演販売すると、試食したお客さんからは甘いと言われるんです。すすめても半々くらいの割合でしか購入してくれない。東京では商売にならんなー、そう思ったときもありました。そこで、買ってくださるお客様1人1人にどちらの出身か、聞いてみたんです。すると、購入してくれる人は宮崎県出身の人や就職して東京にきている人が多かった。
空港店:市内からもわざわざ買いにくる、集客力は空港売店コーナーの核となる

 じゃあ、東京の人にも受けるようにと甘さを控えめにしてみたんです。すると、今度は逆になった。東京の人には好評でリピートで買いにきてくれる人もいたのですが、故郷の人からは、『あの甘さはどこに行ったの、残念だわ〜』とか、はては『こんなのインチキ』とまで言われる。それで、東京では甘いといわれるから甘さを控えたんですと事情を説明したところ、逆に『じゃあ、地元はどうなるのよ』と食ってかかられました。

 ここまで言ってくださるということは、おび天の味をそれだけ愛してくださるということなんですね。それで、もう迷わない。甘いと言われても、これが伝統のおび天の味ですと1種類の味で通すことにしました。将来は各土地に合った味を作る必要も出てくるかもしれませんが、いまはこの味で押し通していきます」

 こう決めてからは迷わなくなった。思ったように売れないと気の毒がった百貨店の担当者が「東京の味に変えてみたら」とアドバイスしてくれたこともあった。それでも、変えなかった。宮崎の伝統の味は甘いということを説明したうえで購入してもらうようにしたのである。

「これは黒くて見た目は悪く、おまけに甘い。だが、黒砂糖とみそを用いた天然の味で、この甘さは黒砂糖のもの。甘すぎると感じてもしつこい甘さではないし、このやわらかい感触は年配の人に好まれる。昔ながらの生活の知恵で味付けしているので、素材、調味料すべてがこだわりのものばかり。健康にもこれほどよい食品はない」

 じっくりと商品内容を説明することによって徐々に客も理解してきた。松田さんは売りにくい商品をいかに説得販売するかで、客の心にストレートに訴える話術を学び、また、各地の物産展に出て、売場の位置、客の流れ、混雑する時間帯等をつかむことによって売上げを予測することもできるようになった。この経験をもとに自ら「接客・販売マニュアル-まごころ-」を作成した。いまも実演販売にこだわり続ける松田さんにとって、客との「対話」こそ会社発展の原動力になっているのである。

 そして、「対話」では、

 健康を売ること(原料や黒砂糖などの栄養とその効果)、

 思い出を売ること(宮崎で食べた、宮崎の人から送ってもらったなどの思い出を喚起する)、

 懐かしさを売ること(宮崎出身の人に、昔懐かしい味を思い出してもらう)、

 珍しさを売ること(初めて食べる人に、作り方や健康によいことをアピールする)
 
を4本の柱として販売している。これらをトータルで演出しながら、客の買う気を誘いだすのである。


客単価を上げる販売テクニックを身につける

 知られていない商品の場合は、試食はもちろんだが、商品説明も迷っている客には有効に働く。このため、販売員の力量で大きく左右される。
 おび天本舗では、県や市、商工会議所などの研修には必ず積極的に参加させる。また、ボーナスやパート時給賃金をほかよりも高く設定することにより、積極的な販売活動に参加してもらうように努めてきた。このため、従業員の定着率は6〜10年と極めて高くなっている。

「私自身、人様がびっくりするほどよく働いてきましたが、従業員も懸命にがんばってくれる。会社がよくなれば、自分たちもよくなるという意識をもっていてくれるんですね。ですから、お盆や正月、5月の連休などというときは、ローテーション以外にもよけいに働くことになるのですが、忙しいときはよけいに張り合いがあると言ってくれて、みな率先して働きたがるのです。それだけ給料も上がるからですが(笑)、励みとなるものを提供することも大切ではないかと思っています。意気に感じると言いますか、いいものを売っているのだから、売上げが伴わないといけないと張り切ってくれているのです。

 いままでは基礎づくりでした。工場の生産体制も整い、新しい店がスタートするこれからが勝負どころになります。後はいかに社員が働いてくれるかにかかってきますから、人づくりが最重要課題になります。

 接客のモットーは『気配り、ぬくもり、心』です。あいさつは相手の目を見てはっきりと、気持ほがらかに大きな声ではつらつととしなさい、とあいさつのことについてはきびしく注意しています。何事もあいさつが基本ですから」

 社長の信頼を得た社員たちだけに販売も絶妙だ。にこやかに応対しながら、客が何を買おうと思っているかを把握し、タイミングよくポイントをつかんで声をかける。

「ちょっとお味見てください、おいしいですよ」(とりあえず試食しようという気をおこさせる)

「こちらも人気がありますよ。いまの時期ならば野菜入りやタケノコ入り、とても人気があります」(と具体名をあげて、客の興味をそそる)

「自家用ですか、おみやげですか。それなら、これがおすすめですね」

「どれもおいしいですから、試しに1個ずつお求めになってはいかがですか」
 
 お客のほうでは言われるままに次々と試食するうち、とにかくどれかは買って帰ろうという気になり、気づかぬうちに、1箱買う予定が2箱になり、予算以上のものを購入し、なおかつ、種類がたくさんあるので、次に立ち寄ることを楽しみにすることができるのである。

 常連客の中には、フライトでやってきた航空会社乗務員や、春期キャンプなどでやってくる野球選手、単身赴任できている会社員など熱烈ファンも増えてきた。

 工場新設、本店建設、空港支店開設など生産〜販売までの一貫体制が充実したことにより、ここ5年間では売上げ、粗利ともに三倍強の実績を上げている。店や商品に対する信用が高まったことで、社員たちの士気も上がり、やればできるとの自信を全員がもつことができた効果が大きい。

まねをされれば、さらに上をゆく商売を考える

 これから先はどうするか。この点については、売上動向をきちんと把握したうえで、長期、短期の経営計画をたてて実施するようにしている。

 こうした経営計画の基礎になる経理面を担当し、新商品開発にも貢献しているのが一子夫人である。いまヒット商品になっている「金柑の甘露煮」やプリンのような味わいの「厚焼き卵」の味付けは夫人が考案した。

 第2、第3の人気商品の候補はあるのだが、松田さんは新商品の大々的な発売には慎重である。「いまはおび天が伸びているので、もう少し先の段階で次の商品を出すべきではないか」と判断している。 松田さんは秘伝の味に仕上げるタレはいまでも自ら調味している。商標登録をすることでまねされないように予防線を張っていても、まねする商品は出てきている。

 だが、まねをされるということ自体、一流であることの証明でもあるといえる。まねをされれば、さらにその上をいくという心意気が必要だが、これまでの年月で、多少のことには揺らがない基盤が培われたはずである。

 郷土の伝統食品を地域特産品に育てあげただけに、今後はより地元に密着することが大切になるだろう。かつて手がけていた学校給食については、子供たちに飫肥の伝統の味を知ってもらうためにも、また栄養豊富な食品で健康維持に役立ててもらうためにもぜひいつか再開してほしいものである。

 その一方で観光客に対しては、飽きさせない工夫が必要になってくるだろう。目標をたて、不撓不屈の精神で努力すれば必ず達成できることをこれまで実証してきた。これから企業として伸びていくためには、社員を信頼して味づくりなどもマニュアル化していく必要が出てくるかもしれない。

 全国へ宮崎の味を伝えるために、通販に力を入れていくとなると、新たな課題も出てくるだろう。

 いま一番可能性があるといわれる製造小売の部分を生かして、どんな企業に成長していくか。農林水産大臣賞という最高の栄誉を受賞しただけに、注目度も大きい。子息も大学を卒業して外で修業した後、入社する予定だが、後継者に何をどれくらい託していくか。むしろ、これからが企業としての正念場ともいえるだろう。



繁盛店のノウハウ

☆実演・試食販売により商品認知度を高める
☆観光客にアピールする特産品を作る
☆卸売はせずに、製造直売で品質を維持
☆飲食できる場をつくる


コメント】97/8/6記

 その後、飫肥城の復元に合わせて建設中だったレストラン「おび天蔵」が6月16日にオープンしました。「観光客の予約も多く、人気上々です」と松田社長の電話の声が弾んでいました。
            
「希望通りのものができました。この建物は、江戸時代に飫肥藩、藩役所だったのを再現したものです。建物の由来を市の教育委員会に調べてもらって1m位の看板に手書きで記しました。すると、皆さん、歴史を知って感銘を受けるようです。

 私、実は開店早々、お客様の中に入り交じって会話をじーっと聞いていたんです。この建物何だろうということで、特にご年輩の人たちはとてもインパクトがあったようでうれしくなりました。宮崎の旅を振り返ったとき、そういえば飫肥で食事したね、と懐かしく思い出してもらえることでしょう。

 全国に宣伝する力がないのが残念ですが、飫肥藩屋敷を復元し、郷土料理を食べてもらうという形で、地域おこしにもつなげていきたい」

 私自身も宮崎といえば「おび天」さんを思い出すようになりました。

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