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| 株式会社 元祖おび天本舗 |
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実演販売で特産品に育てた製造小売店 |
| 第6回農林水産大臣賞。91年に食品流通局長賞を受賞したとき、次の目標を農林水産大臣賞において努力を重ね、96年に実現させた。本店のほか、飫肥城店、空港店の支店をもち、97年夏、飲食店が完成。オリジナル商品「おび天」の普及に努めてきたが、95年11月、天皇陛下宮崎ご訪問のおりには名産献上品として選ばれ、名実ともに宮崎県の特産品に育っている。 |
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| 住所:宮崎県日南市大字楠原4106-8 |
チャンスは自らつかめ
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| 土産ニーズを開拓 当時、おび天の店は、JR日南線の飫肥駅から車で三分の飫肥城大手門近くにあり、地元客相手の商いをしていたが、観光地化をめざす日南市が飫肥城を復元し新名所にしたことから状況が変わった。県内各地からマイクロバスに乗って観光客が団体で訪れるようになったのである。 大手門近くで売り込みを図ったところ、「あのときにあそこで買ったおび天ね」「これ、おいしいわよ」と人がたかってくる。知らない人には、知っている人が得意げに自慢しながらすすめてくれるから、1人の客が2人、3人と客を呼んでくれる。ここでようやく「仕出しとおび天」ではなく、「おび天」の販売を主力にするめどがついたのである。 84年に飫肥城店を新築し、「おび天茶屋」と名付けた。江戸時代にタイムスリップしたかのような武家屋敷風の茶屋は、食事処に売店を併設している。店内に樹齢1000年といわれるクスノキの大火鉢を置いたのが、狙い通り話題となった。落ち着いて食事できる雰囲気が好評で、おび天入りの「城下町定食」が人気を呼んでいる。 大勢の観光客が購入してくれたからこそ、空港店の出店を決意できた。飫肥城店での自信により、空港側との交渉でも粘りを発揮することができた。当初空港側でも4000円ほどの売上げしか見込んでいなかったが、初年度に6000円と軽くクリアし、空港ビルだけで2億円を売り上げるまでになった。 地元客主体の販売ではすぐ限界がきてしまうこと、商品性格が伝統的物産であるということから、観光客をターゲットにして、多店舗展開を図ったのが見事に功を奏した。 空港店設置が大成功を治めたことにより知名度も上がり、年間700万人の観光客が訪れる日南市と宮崎市の温泉旅館やホテルからも土産品としてのひきあいが入るようになったのである。 10年後を見越した設備投資をする
では、次になすべきことは何か。それは衛生的で省力化が可能な工場設備だ。この結論に基づいて、94年に将来の生産量増大にも対応できる工場を建設した。特注の機械が多いので、設備投資は莫大な金額になったが、利益は工場が軌道にのってからでいいと考えている。 |
伝統の味を守り抜く 松田さんにとって、「商品を売る」というのは単に商品を金に換えることではない。客がおいしいと言って喜んで食べてくれて、その喜びを自分のものにしてこそ、売り手、買い手双方に満足のゆく販売ができたと考える。口にして満足してもらって初めて「販売」したといえるのである。 味と鮮度が重要だけに、製造直売を厳守し、卸売はしない方針だ。品質管理の目が行き届かなくなると懸念されるからで、あくまでも自社の責任にこだわっていく。また、各種催事に伴う出張販売は年十数回は続けてきたが、今後も積極的に出かけていく。どんなに遠方であっても百貨店の宮崎県物産展などの催事には社長自らがでかけていって実演販売をすることにしている。 各地で消費者の生の声を聞くことが味づくり、商品づくりに役立つからである。
じゃあ、東京の人にも受けるようにと甘さを控えめにしてみたんです。すると、今度は逆になった。東京の人には好評でリピートで買いにきてくれる人もいたのですが、故郷の人からは、『あの甘さはどこに行ったの、残念だわ〜』とか、はては『こんなのインチキ』とまで言われる。それで、東京では甘いといわれるから甘さを控えたんですと事情を説明したところ、逆に『じゃあ、地元はどうなるのよ』と食ってかかられました。 |